ウクライナ国内の地名の呼び方が変りましたが、旅行は2008年でしたので、古い呼び方のままにします。

ウクライナ旅行記ー11日目 セバストポリ
08/07/26

  7時過ぎ、セバストポリの町が近付いてきました。軍艦らしいものがいくつか見えます。
を見下ろす小高い丘には建物群が整然と配置され、美しい風景となっています。
戦勝記念だと思われる巨大な記念碑も港を見下ろしています。ロシア艦船が数杯いました。
Sevastopol
の名は、ローマ皇帝アウグストゥスの称号のギリシャ語訳から来ています。
実際に名づけられたのはロシア帝国の時代になってからです。古代ギリシャの植民地でもあ
り、ロシア帝国時代からソ連時代まで要塞都市であり、現在もロシアの黒海艦隊の母港です。
 ガイドさんから、たくさんのことを学びました。
 ウクライナはこの地をロシアにロシア艦隊基地として貸す協定をソ連崩壊後に結びまし
た。複数のbattery、多分補給施設があります。しかしウクライナはこの地のロシア艦隊の
立ち退きを求めています。これに対してロシア系住民はこの地をロシアに編入することを
求めています。所得格差があるので、ウクライナからロシアに人が移っています。年金が月に
1000グリブナ出るのでなんとか暮らしてはいけますが、病気にでもなったらどうしようもあり
ません。ウクライナ人の外国への渡航許可はなかなか出ません。外国に行くと帰ってこない
からだそうです。ここは冬に−20℃に下がります。何年か前に−23℃になったことがある
そうです。この国が何を糧にしてやって行くかの問題があるそうです。観光なのか農業なの
か、それともこの町の借地料なのか・・・・。工業も造船以外たいしたものがありません。


戦勝記念碑だと思われます。

水先案内人の登場

ロシアのミサイル巡洋艦『モスクワ』



セバストーポリに到着しました。

  船は8時頃波止場に到着しました。11名の軍楽隊が私達を歓迎して演奏をしてくれました。
すぐに市内観光。ポニーテイルのガイドさんの案内がありました。

軍楽隊の歓迎の演奏に、心が和みました。

下船して、観光に出発。


 クリミア戦争で使われた砲台が戦場だったところにあるというので行きました。途中に
クリミア戦争に従軍し、この地に滞在し、「セバストーポリ」を書いたトルストイの記念碑
がありました。
 この町には記念碑がとても多いです。記念碑の町と呼ばれています。この町が占領された
クリミア戦争や第二次世界大戦を忘れないための記念碑やその他のを合わせて1400ある

という・・・・。クリミア戦争の英雄ナヒモフの像やレーニン像もありました。

クリミア戦争の戦場跡(左端の建造物はなんだろう?と思って拡大してみると、観覧車のようです。)


クリミア戦争の英雄ナヒモフ提督の像

銅像の台座
クリミア戦争で使われた砲台


 次にパノラマミュージアムという建物に入りました。どういうところか全く知らずに
階段を上がり、登り切ったところに大パノラマが広がっていました。直径は20m以上あ
るか、半球状のドームにクリミア戦争の戦いの絵が描かれていました。正確には中景から
遠景が絵で、近景は模型と人形ですが、近景から遠景まで連続的につながって見えます。
単なる絵以上の迫力

 そして実際に戦場にいるかのような臨場感を味わえました。中心はロシア軍の陣地で
そこから向こうの戦いの様子を見物しました。遠方からはトルコ軍やフランス軍が来ま
した。とにかく大作です。この絵は1905年に公開されたが、第二次世界大戦で痛んだので
1954年に再生さ
れました。

パノラマミュージアム

クリミア戦争の戦いの絵

 次に聖ウラジミール教会に行きました。これはクリミヤ戦争のナヒモフなどの
英雄を葬ったロシア正教の教会で、同じ名前の教会は港の入り口の丘の上の
ヘロソネス修道院跡地にもあります。ここの十字架は見慣れない形です。

ナヒモフ提督らが埋葬されている聖ウラジミール教会


  その後、オプショナルツアーでクリミア・ハン国の都があったバクチサライに行きま
した。
行く途中の沿道には峨々たる谷もありますが、なだらかな山々の間にぶどう畑か、
畑が広がり家々があります。約1時間で到着しました。クリミアハン国の宮殿は建物が
木質系で、こじんまりとして住みやすそうな感じです。アルハンブラ宮殿に似た感じで、
水をモチーフとしているかのように水を用いています。クリミア・ハン国は18世紀の
ロシア帝国とオスマン帝国との間の初期の露土戦争の結果ロシア帝国に併合され、住民の
多くはオスマン帝国に逃げました。残ったクリミア・タタール人は、第二次世界大戦中に
対独協力の嫌疑でウズベキスタン等の中央アジア諸国に多数強制移住させられました。
現在までに25万人が帰国を果たしましたが、土地の帰属や政治参加の方法等の問題が残って
います。

クリミア・ハン国の都があったバクチサライ





建物の中も見学ができました。





ポ二―テールのガイドさん

帰路、峨々たる谷にはいくつかの洞窟があり、そこにはかって修道僧が いた(?)そうです。

造形物ではないようです。

町に帰着する直前にバス右側に潜水艦が2停泊しているのを見ました。


とても長い列車。残念ながら右端が切れていました。

観光を終えて、クルーズ船に戻りましたが、
出港まで少し時間があったので、街ブラに出かけました。
銅像の下にいる人の方が気になります。

  ツアーから戻ってから極めて短時間町を散歩しました。




シェフシェンコ号は沖に停泊しているので、お迎えの船を待ちます。



シェフシェンコ号の出航に合わせて水先案内人が登場

船は日没前にヘルソンに向かって出航しました。
日没は今ま
でで最もきれいで、真っ赤でした。


  夜はクラシック音楽ショーを楽しみました。ヴィクトリアの歌が素晴らしい!
ヴァイオリン
も。

夕食を食べながらのお楽しみ 美声のヴィクトリア

ウクライナの可愛いエプロン

船上で見たアクセサリー


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