ウクライナ国内の地名の呼び方が変りましたが、旅行は2008年でしたので、古い呼び方のままにします。

ウクライナ旅行記ー第12日目 ヘルソン
08/07/27

 今日は涼しさを通り越して寒いほどなので、洋服を着替えました。運動不足解消のため
に甲板を歩く人が目立つようになりました。8時頃陸地が見え始めました。
 ドニエプル川に入る直前黒海沿岸は切り立った崖です。9時頃河口にはいりました。
入ってすぐ右側に小島があります。灯台と何やら監視塔のようなものもあり、人がいます。
河岸は水路が入り組んだデルタ地帯をなしていて、水路が小島を幾つも作り出しています。
豪邸を一つ見ましたが、余り建物の姿が見られません。豊かな自然を感じました。
 午後、ウクライナの文化と伝統についてナターリアから講義を受けました。学校は、
6才で入学。初等中等教育は4年+4年+4年、大学は5年です。医者になるためには
9年教育を受けます。兵役が18ヶ月あります。クリスマスは旧暦でするので1月です。
宗派は幾つもあります。ソ連時代は余り教会に行かず、教会がジムになったりしていた
のですが、最近は行く人が増えたそうです。

船上レストラン 今『Russian』とあるのに気づきました。

朝  食

Russian Lunch だったと思います。

ヘルソンが見えてきました。





14:30にヘルソンに到着しました。

水先案内人登場 接岸したシェフシェンコ号

 15:00から小舟に乗り換えて下流域にある小島の一つfisherman島へのツアーに
出発しました。河岸に造船所が目立ちます。本流から狭い水路を辿っていくと沿岸に
は家があり、船着場がありました。水遊びをする子供や釣り糸を垂れる人々の姿が
見られます。船内では民族衣装を着た女性達が歌ってくれました。

漆塗りの大きなスプーン








 島に到着すると、上陸してすぐのところにある民家のようなところでウォッカと軽い
おつまみをご馳走になりました。豚の脂身とトースト、輪切りにした魚のフライ、キューリ
の酢漬け、ゆで卵のトースト。カロリーは十分でした。終わって、家の出口に例の民族
衣装の女性がいて、前に篭が置いてありました。心付けということでしょう。暖かな
おもてなしに感謝です。
 お酒のせいか、急に暑くなりました。外には絵等のお土産を売る露天が出ていました。


民家でご馳走になったお酒のおつまみ


日本語が話せて天理大学への留学経験を持つマリア。
ウクライナでは、成績が良い学生は仏語を選択し、
日本語を選択する学生は・・・・・・。とか。

民族衣装や絵画を売っていました。支払いはユーロです。

訪問した民家の写真を撮り忘れたので、せめて家の絵を。

自分のお土産に買いました。

fisherman島の船着場

fisherman島に別れを告げて
出航までの少しの時間ヘルソンの街を撮影しました。、


警察署かな?と思いました。

ザポリージャに向かって19:00出港しました。
夜ジャズショーがあって、昨夜と同様、ヴィクトリアが歌いました。

Russian Dinner だったと思います。


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